2015年 02月 20日
私のおすすめ漫画 山本直樹「レッド」 |
1巻の内容紹介は以下のとおり
『革命を目指す若者達の青春群像劇。この物語の登場人物達は決して特別ではない--。物語の舞台は1969年から1972年にかけての日本。ごく普通の若者達が、矛盾に満ちた国家体制を打破するため、革命運動に身を投じていく。それは、正しいことのはずだった……。激動の学生運動の行き着く先とはどこなのか!?全ての世代に捧げる、若き革命家達の青春群像劇。雑誌収録時から全ページにわたり、加筆修正した完全版!!』
そして8巻になるとこうなる。
『1971年、日本で革命を目指す赤色軍と革命者連盟は急接近し、『赤色連盟』を結成。銃を手にした彼らは、榛名ベースへ続々集結する。しかし、そこで展開されたのは革命への行動ではなく、『総括』と称した、立派な革命戦士になるための、各自の過去の言動に対する自己批判、相互批判の応酬だった。総括要求はエスカレートし暴力になり、大晦日にはついに伊吹が力尽きて死に至る。彼らは一体どこに向かおうとしているのか!?』
心理屋としての視点で見ると、この中での”総括”とは”精神分析”である。
精神分析家がトレーニングを受ける過程と、”総括”への過程がほぼ同一である。
ここでいう”総括”とは内省を深め、一定のレベルに到達することを指している。
それをジャッジするのが先に”総括”が終了した”指導者”で、これも精神分析と合致する。
それを端的に示すセリフが「”総括”が進んでいる」である。
一般に、浅間山荘事件へと至る一連の事件は、市井の若者が革命という狂気に染まっていくと解釈されていて
その方法論はどちらかと言えば”洗脳”や”マインド・コントロール”に類似したものと考えられているが
この漫画を読むとそうではなく、精神分析と全く同じ方法論が展開されているのが見て取れる。
精神分析との唯一最大の違いは、客観性ではなく、”総括”では答えが曖昧で、指導者の気分次第でジャッジされるという点のみである。
最大の共通点は、現代では基礎理論からそのエビデンスまでもが全否定されている点である。
そしてその点に関して当事者側から何も総括されず、時代の雰囲気によってただ化石化している点もよく似ている。
結果はすでにわかっている。ある意味倒叙型のミステリーである。
そして次の展開も予め提示されている(死ぬ順番に番号が振られている)。
そこら中に登場人物がミスリードに至る伏線が張られていてそれらをすべて踏んでいくのである。
絵柄は作者の従前型のものであるのに、形式は漫画史上初と言っていい形式である。
漫画史上、最も近いものは横山光輝の「三国志」であろうか?
この後で、山から降りてきたメンバーがあまりに臭くて通報され逮捕されるというエピソードがある(はずである)。これをどのようなマンガ表現とするのかが興味深い。
人が死ぬ瞬間(殺人ではなく徐々に死んでいく・・・)の描き方もわかりにくいようでわかりやすいという書き方がされているので、匂いの表現も期待してしまう。
なお、小説で最も近いものは漂流記1972 (1984年) (河出書き下ろし長編小説叢書)であるが、こちらは登場人物を当時のアイドル(松田聖子や中森明菜)に当てていて、エンターテイメント寄りに脚色されていて、漫画よりさらに文体も中身も軽い。
この本をリアルタイムで購入したが、本の分厚さに見合わない文体と中身の軽さのギャップに戸惑ったものだ。
(確か河出書房XX周年記念シリーズの一環だったと思うが記憶は不確かで実物は紛失してしまった)
以下のkindle版の紹介文の意味がよくわからないが、もしかしたら別物なのかもしれない(上下巻と主同じ)。
『連合赤軍事件(1972)―かつて全国の学園を席券した全共闘時代の末期、ある驚くべき事件が起こった。あれから十数年、青春の熱はさめ世紀末と呼ばれる時代に、新たな銃声が響く…。セスジも凍る、オモシロ恐怖のワンダーランド。』
80年台半ばから見れば、この事件は”オモシロ恐怖”でしかないというのが興味深い。
その意味でも精神分析とも共通する、のか?
おすすめ度:★★★☆☆(連合赤軍事件に興味はあるが、ノンフィクションだと敷居が高いと感じる方)
by k1right
| 2015-02-20 00:00
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